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≪伝説・言い伝え≫
鬼女紅葉(きじょ もみじ)

【 長野県 長野市 鬼無里村(きなさむら) 】

 今から約千年の昔、会津の夫婦が六天の魔王に祈って美しい娘を授かり、呉葉(くれは)と名づけた。

 16歳で都にのぼった呉葉は紅葉(もみじ)と名を変え、才知あふれる美しさがたちまち評判となって、源氏の棟梁、源経基(みなもとの つねもと)の側室として寵愛を受けた。

 ところが経基公の御台所が病に倒れ、平癒祈願(へいゆきがん)もむなしく、病状が重くなると、「紅葉が呪い祈祷している」と噂が立ち、ついに信州戸隠(とがくし)に流されてしまった。

 鬼無里の里にたどり着いた紅葉は、その美しさと読み書き、裁縫、※歌舞音曲などの教養から村人たちに敬愛され、内裏屋敷と呼ぶ館で大切にされた。
        
屋敷の西を西京(にしきょう)、東を東京(ひがしきょう)と名づけ、都をしのんで暮らす紅葉であったが、経基や都への思いは消えず、再び上京しようと戸隠の荒倉山の岩屋に移り住みます。

そして、いつしか盗賊たちの首領に担ぎ上げられ、人々から鬼女と恐れられるようになる。

その噂が都に伝わると、帝は、信濃守、平維茂(たいらの これもち)に鬼女討伐を命じた。
 初戦は鬼の形相となった紅葉の妖術に敗退した維茂であったが、別所北向観音に必勝祈願をして授かった、降魔の剣(こうまのけん)で再度紅葉を攻め、激しい戦いの末、ついに紅葉は降魔の剣に討たれた。

維茂は鬼無里に地蔵尊を祀り、紅葉の菩提を弔った。


画像

松巌寺(しょうがんじ)

鬼女紅葉の菩提所として建立された地蔵院が 前身と伝えられ、元和元年(1615) に創建された曹洞宗の寺院。

【住所】長野県長野市鬼無里320



 ※
源経基(みなもと の つねもと)
   平安時代中期の武将。清和源氏の祖。

 ※ 歌舞音曲(かぶおんぎょく) 
   歌や踊りや楽器演奏など、華やかな芸能芸術
   活動の総称。

 ※ 平維茂(たいら の これもち)
   平安時代中期の武将。陸奥守繁盛の子。

 ※ 降魔の剣(こうまのけん)
   悪魔を降伏させるという剣。不動明王が手に
   持っているもの。

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